NCNでは、これまで数多くの学生をアメリカの大学に受け入れ、それぞれの夢の実現をサポートしてきました。留学中には楽しいことも苦しいこともあり、それを一つずつ経験する中で、一人ひとりが成長し目標に近づいていったのです。ここでは、そんな先輩たちの生の声を紹介します。 留学に不安を感じている皆さんに向けた、先輩たちの熱いメッセージです。
ジョージワシントン大学で国際関係学を専攻した内田絢子さん。
在学中に、客船に乗って世界9か国を回りながら、船上の教室で授業を受け、上陸したそれぞれの国で人々やその生活に触れる「洋上大学」に参加した。アメリカ中の大学から留学生を含むさまざまな学生が集まるミニ世界と、実際の世界とを体験するプログラムを中心に聞いてみた。
世界の実情を知って、国際開発への関心を高めた。
━━━ 洋上大学参加のきっかけは?
とにかく世界の実情を自分の目で見たかったんです。
━━━ 印象に残っていることを教えてください。
南アフリカは、街は都市化して平和そうなのに、人種差別がいまだに残っていて、警察にも守ってもらえない外国人の話を聞き、愕然としました。
また、インドでは、下層カーストの人の家作りを手伝ったのですが、生き生きと暮らす現地の人と出会い、かわいい子供たちと一緒に作業をしたのが楽しかったですね。
━━━ 国際開発に関心があるんですね。
国際開発には功罪両面があります。
授業では、開発援助がかえって現地の貧富の差を広げているという事例を学びました。
開発は現地の人と相互信頼を築きながら進めることが基本なんです。でも、それがされずに、ひずみが生じる場合も多いのです。
私は、洋上大学で、自分が偏見のない態度を示せば、異なる文化圏の人も心を開いてくれることを何度も実感しました。
それを踏まえて、国際開発スタッフが現地で見せる笑顔の重要さについての文章を読んだとき、納得がいきましたね。
ネブラスカ大学リンカーン校から、最高水準の国際関係学を学ぶため、
首都ワシントン近郊のジョージタウン大学に転学した葛城将弘さん。
在学中に国際政治の現場でインターンシップを学び、当時のコリン・パウエル国務長官と面会、日本でも政治家秘書のインターンを体験するなど、世界の動きを身をもって経験する大学生活を経て、卒業後は日本銀行に就職。着実にキャリアを積み上げている。
転学を通じ、少しでも良い環境に挑戦を。
━━━ 転学のいきさつを教えてください。
ネブラスカ大学で基礎を学んだのち、3年生の秋学期から、留学当初からの目標だったジョージタウン大学に転学しました。クリントン大統領や元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんも卒業された大学で、国際関係学の発祥の地でもあるんです。
━━━ 素晴らしい環境だったようですね。
教授陣は、元国連大使など著名な人がずらり。世界の首脳や政府要人が次々にやってきて講演をしていきます。
母が『同じ時間とお金を使うのなら、価値のある使い方をしなさい』とアドバイスしてくれていましたが、国際関係学を究めるうえで、少しでも良い環境に挑戦し、どこまでやれるか試したいと思ったのです。
━━━ 苦労はありませんでしたか?
難関大学ですから、授業のレベルや課題の多さ、同級生の優秀さなど、圧倒されることばかりでした。でも大きな壁にぶつかるのは楽しいことでもあります。
いくつものハードルを乗りこえた将来の自分を想像すると、自然に胸が躍るんです。
日本の航空会社に就職 成田裕貴さん
NCN2004年度生 成田裕貴さんは、カンザス州立大学で航空操縦学を専攻。アメリカのライセンスを持ってJALグループのJ-AIRの未経験枠に応募し、採用された。入社後は日本での事業用ライセンス取得と乗務準備のため、オーストラリアと日本国内での訓練を経て、副操縦士として活躍中だ。
入学翌日には操縦桿を握っていた。
━━━ 航空操縦学をアメリカの大学で学ぼうと思ったのは?
小学生の頃からエアラインパイロットが夢でした。高校のころ、いろいろな進路を調べて、アメリカの大学の航空学専攻をみつけたのです。航空大学校も考えましたが、まず大学に入らなければならない。それならアメリカの方が早く空を飛べる、と思いました。特にカンザス州立大学は、機材も多く、空を飛ぶ機会も多そうだと思い、決めました。
━━━ 訓練の様子は?
第一印象は、カンザスは空が広い、ということでした。早く空を飛びたくて選んだアメリカでしたが、想像以上でしたね。入学翌日には教官とのフライトで操縦桿を握らされ、2週間後にはソロフライトが普通なんです。さすがアメリカだ、そこまでやらせるのか、と思いました。2年目になると、週4回も操縦訓練があるんです。
大学での学びのすべてが就職後にも活きる。
━━━ 大学で操縦を学ぶことの意味は?
専門学校がライセンス試験に合格するための教育なら、大学は安全なパイロットを養成するための教育。安全を学ぶ講義が多いんです。例えばHuman Factor(人的要因)というコースでは、人間の目、呼吸、血液などのしくみを学びますが、これは人的ミスをなくすための知識になります。
━━━ 小学生時代からの夢を実現しましたね。
調べ尽くした自分の夢ですから、自分を信じてやるしかない、そんな思いでした。アメリカでは教官としても働きましたが、当時学んだすべてが就職後の訓練に結びつきました。オーストラリアでの再訓練でも英語で不自由することはありませんでしたし。
━━━ 進路で悩んでいる人へのアドバイスをお願いします。
大学選びは慎重に行い、自分の好きなことを勉強できる大学・学部に進んで欲しいと伝えたいですね。
好きな英語を活かせる仕事を意識して、
ネブラスカ大学カーニー校で組織コミュニケーション学を選択した犬飼美穂さん。
英語をベースにした学びの展開は、日本人としても新たな発見をもたらしたようだ。
様々なコミュニケーションスタイルを知った。
━━━ 留学する時からコミュニケーション専攻を決めていたのですか。
もともと英語はもちろん、人と話すのが大好きなので、接客関係の仕事につくのが夢でした。それにはコミュニケーション学がいい、と思ったのです。
━━━ 学んで面白かったことを教えてください。
アメリカで学んでいると、世界の人が日本についてどう思っているのかを客観的に知ることができるのです。異文化コミュニケーション学の教授は『日本人はシャイで個性を尊重しない文化』と言うし、対人コミュニケーション学の授業では日本人の『ボディタッチ嫌い』が話題になりました。確かに日本人は協調性の方を大切にするし、家族と抱き合ったりもしませんよね。授業や回りの友達をとおして、国や文化によって様々なコミュニケーションスタイルがあると実感させられました。
━━━ 教室の外でもそんな経験がありますか?
映画『ラスト・サムライ』をみたアメリカ人に『サムライ』について質問されたのです。日本人なのにちゃんと答えられなかった。
留学して、自国の文化にも知らないことがいっぱいあるんだと気づかされました。
プロフィール:1983年生まれ。埼玉県出身。私立女子学院高校(東京都)を卒業した後、2002年ネブラスカ大学リンカーン校(州立)に入学し、コンピューターサイエンス(情報科学)を専攻。同校を卒業後、日本の企業でアプリケーション開発などに携わっている。
小学生のときにゲームソフトのFINAL FANTASYの虜になり、「私が感動したゲームはどんな会社がつくっているのだろう?」という思いから、やがてプログラミングを学び始めた。
6年後に高校を卒業し、「コンピューター教育が進んでいるから」という理由で米国の大学に進学して、コンピューターサイエンスを専攻に選んだ。
2年生になった春に、ほかの学生が余裕でこなす課題に、自分は歯が立たないという壁に直面したが、好きなことだからこそ自力で乗り越えることができ、プログラミングをものにした。大変だからこそ得られるものがあると信じて進学した米国大学で、確かな成果を実感している。